同じ汐見工場にいても、ばら積み船とLNG運搬船では段取りも相棒も違います。
入社年も職種も違う4人が、どんな船とかかわり、どこで次の仕事を任されたのか。
それぞれの航跡を、入社の年からたどります。
Wake Chart
色の切れ目が、配属や役割が変わった年です。名前を押すと、その人の話へ移ります。※人物・数値はすべてサンプルです
島田 誠一(しまだ せいいち)
汐見工場 建造部 部長
(1996年入社/工学部 船舶工学科卒)
大学のヨット部で、4年間ほとんどの週末を海の上で過ごしました。風を読むのはいまだに下手ですが、狭い船の上で人と息を合わせる感覚は、ここで覚えたものです。
工場見学で、進水したばかりの船を岸壁から見上げたことです。あの大きさのものを人が組み立てていると知ってから、ほかの会社が目に入らなくなりました。
最初の仕事は、ヤードに届いた鋼板の枚数と番号を確かめることでした。一隻のばら積み船に使う鋼板は数千枚。1枚でも順番を取り違えると、切断機の前で作業が止まります。先輩に「段取りは前の日に8割終わっている」と言われ、毎日夕方に翌日の板を並べ直していました。地味な仕事ですが、ここで身についた「先に並べておく」癖は、今もいちばん役に立っています。
船は数十個のブロックに分けてつくり、最後にドックでつなぎます。担当は、船首まわりの曲がりの強いブロック。図面どおりに組んだのに、隣のブロックと数ミリ合わないことが何度もありました。溶接の職長さんと夜遅くまで原因を探し、熱で鋼が縮む量を見込んで組むやり方にたどり着いた日は、二人で缶コーヒーで乾杯しました。
ドックにブロックを積み上げ、船の形にして水に浮かべるまでを任されました。初めての進水の前の晩は、照明の下で何度も船底を見て回り、結局一睡もできませんでした。翌朝、注水が始まって船体がふっと浮いたとき、足元から力が抜けたのを覚えています。それから10年で、担当した船は30隻を超えました。


当時いちばん大きなLNG運搬船で、現場の取りまとめ役になりました。マイナス160度の液化ガスを運ぶタンクは、溶接一つにも何重もの検査が入ります。設計、艤装、協力会社を合わせると、かかわる人は約1,000人。全員が同じ日程を見られるように、毎朝ドックの前に工程の大きな紙を貼り出しました。引き渡しの日、船主の方が船橋で握手を求めてくれたことは忘れられません。
2026年に完成した第5ドックの立ち上げを担当しています。クレーンの配置から、ブロックを運ぶ順番、休憩所の場所まで、30年分の「こうだったらよかった」を詰め込みました。現場に出る日より会議の日が増えましたが、朝いちばんにドックを一周するのは、今も続けています。
この第5ドックで、今の若手が自分の段取りで船を進水させる日を見届けたい。それが自分に残っている大きな仕事だと思っています。口で教えるより、隣で見てもらえるように、もうしばらく現場に立ちます。
洲本 菜摘(すもと なつみ)
設計本部 基本設計部 課長代理
(2011年入社/工学研究科 船舶海洋工学専攻修了)
研究室で、船の模型を水槽に走らせて抵抗を測る実験を続けていました。夜中の水槽で、模型が引く小さな航跡を眺めているうちに、本物の船の線を引きたくなりました。
面接で設計の先輩が、自分が担当した船の写真をうれしそうに見せてくれたことです。こういう顔で仕事の話をする人たちと働きたいと思いました。
最初の2年は先輩の図面の修正ばかりでしたが、3年目に船倉の仕切り壁を1枚まるごと任されました。半年後、汐見工場でその壁が組み上がっているのを見たとき、図面の上の1本の線が厚さ20ミリの鉄になっていることに、しばらく言葉が出ませんでした。現場で「この穴だと溶接の手が入らない」と言われたことも、全部メモして次の図面に入れました。
2人の子どもの育休を合わせて2年ほど取り、時短勤務で戻りました。夕方4時には帰るので、打ち合わせは午前にまとめ、図面の確認は工場の担当者とオンラインで済ませる段取りを、部のみんなと一緒につくりました。復帰の日に上司から言われたのは「時間が短いぶん、決める仕事をやってほしい」。担当する船は、休む前より大きくなりました。

基本設計は、船主の要望を聞いて、船の長さや幅、エンジンの種類を決める仕事です。アンモニアを燃料にするゼロエミッション船の計画では、燃料タンクをどこに置くかで3か月議論が続きました。詳細設計を経験していたので、ここに置くと現場でどれだけ大変になるかが具体的に思い浮かぶ。遠回りに見えた最初の9年が、今いちばん効いています。
今はチームの若手5人と、次の船の計画を進めています。自分が1年目にいちばんうれしかったのは「ここはいい線だね」の一言だったので、図面を直す前に、良いところを先に伝えるようにしています。
基本計画から担当した船を、最初から最後まで見届けること。その船の進水の日に、子どもたちを汐見のドックに連れて行くのが、今の楽しみです。
沖野 健太(おきの けんた)
海洋事業部 洋上風力技術課 課長代理
(2012年入社/工学部 機械工学科卒)
原付で、日本の海岸線を半分ほど回りました。港町に着くたびに停まっている船をスケッチしていたのが、今思えば船の仕事への入口でした。
新しい船をつくるだけでなく、何十年も使われる船を直す仕事があると知ったことです。修繕の現場の話をしてくれた社員の顔が、本当に楽しそうでした。
修繕ドックには、世界中の海を走ってきた船が入ってきます。水を抜いたドックで船底の下に立つと、フジツボの跡や塗装のはがれ方で、その船がどんな海を走ってきたかがわかる。限られた入渠期間の中で、どこから手をつけるかを船主の監督と相談して決めていくのが、毎回の勝負でした。
担当する船の半分以上が海外の船主になり、打ち合わせは英語、夜中に届く追加工事の依頼にも対応しました。最初は辞書を引きながらでしたが、図面と写真があれば話は通じます。予定より2日早く出渠させたとき、船長が持ってきてくれた母国のお菓子は、ドックの事務所でみんなで分けました。
洋上風力の風車を建てる作業船を、修繕ドックで改造するプロジェクトに手を挙げました。船の上に大型のクレーンを載せ、波の中でも船の位置を保つ装置を取り付ける。修繕で数百隻の船を見てきたので、どこを補強すれば無理がないかの見当がついたのは、自分でも意外な強みでした。


今は、完成した作業船を沖でどう点検し、どう直すかの仕組みをつくっています。船がドックを出たあとも面倒を見続けられるのは、修繕から来た自分の役目だと思っています。
洋上風力の作業船を、自分たちの手で一から設計して建造すること。修繕で見てきた「船はこう傷む」を、最初から織り込んだ船をつくりたいです。
汐田 遥(しおた はるか)
修繕船営業部 海外担当
(2019年入社/外国語学部卒)
スペイン語を専攻し、1年間の留学中は港町の食堂でアルバイトをしていました。漁師さんたちの早口が聞き取れた日に、言葉は仕事の道具になると感じました。
文系でも船づくりの真ん中にいられると知ったことです。説明会で営業の先輩が、自分が受注した船の写真を見せながら話してくれました。
文系の新入社員も、最初は汐見工場に配属されます。朝礼で安全の唱和をし、作業服で現場を歩き、協力会社との契約書をつくる。工場の言葉がわからないうちは、現場の人に用語を一つずつ教わってノートに書きためました。このノートは、営業に移った今も持ち歩いています。
修繕の見積は、工事の項目を数百行積み上げてつくります。1行ごとに、何人で何日かかるかを工場の担当者に確かめに行く。最初は「営業がそこまで聞くのか」と笑われましたが、数字の根拠を自分の言葉で説明できると、お客さまとの話が早く進むことを知りました。

今はアジアの船主を担当し、月に一度は海外に出張しています。船主が修繕先を選ぶ決め手は、価格だけではありません。前回の工事で何がよかったか、どこで迷惑をかけたかを、正直に話せるかどうか。その話ができるのは、工場の総務で現場を歩いた2年があったからだと思っています。
新造船の営業にも挑戦したいと考えています。修繕で長く付き合ってきた船主に、次は新しい船を澪重工でつくってもらう。その1隻目を、自分の手で受注するのが目標です。